太田正雄こと木下杢太郎を生家で観想する伊東市「木下杢太郎記念館」

静岡県賀茂郡湯川村(現・伊東市)生まれの医学者にして、詩や美術など広い分野で功績を残した木下杢太郎という人物をご存じでしょうか。

生誕100年を記念して開館

現在は市指定文化財として保存されている彼の生家と隣接して記念館が伊東市湯川にあるのですが、大人の入館料100円で、とにかく見ごたえ抜群な施設なんです。

そして入口横に設置された石碑には、随筆「伊豆伊東」より抜粋された文章、「伊東は小生の生まれた所で、もし大地に乳房というものがあるとしたら、小生に取ってはまさにそれです。」と書かれていました。個人的に入館前から心を掴まれました。

木下杢太郎というのはペンネーム

その由来は、自作の詩の構想から取った、『樹下に瞑想または感嘆する愚かなる農夫の息子』の意味だそう。その他にも絵画では、葱南(そうなん)、俳句では、桐下亭などを使っていたそう。とにかく多才な人物です。

記念館には、歌人・作家の與謝野晶子との手紙や歌のやりとりの記録や、北原白秋との親交について、石川啄木との関係など、教科書に名を連ねる歴史上の人物が次から次へと出てきます。

呉服や雑貨を扱う素封家の商家、米惣の末子として誕生し、家人は本名・太田正雄を医者にすることを考え、中学からドイツ語を教える東京の独逸学協会中学(ドイツ学協会中学)に就学させたそう。本人は医者になることは希望しておらず、画家やドイツ文学者になりたかったという記録もありました。

太田家は地元でも有数の名家であったことが、杢太郎本人の経歴や大学在学中の仕送りの出入帳の記録、さらに6人いた姉兄たちの経歴などからも伺い知ることができます。

そんな彼の生涯を約12分程度にまとめた動画も用意されており、こちらの間で視聴することができます。

当時のままの状態で保存されている生家

伊東市最古の民家として市の文化財に指定されているこちらの建物。庭部分まで残されているのが印象的で、その影響もあってか建物全体が生きているように感じました。

井戸の水を汲み、水作業をしながらの当時の生活が目に浮かぶ、すばらしい庭でした。

再現ではない本物がこちらには残っています。水場との距離や土間の間取りと広さなどがそう感じさせるのかなと思いました。

調度品も見学することができます。

伊東市の街中にある杢太郎の関連碑など

松川の川沿いには、散策できる遊歩道がありますが、こちらには画家でもあった杢太郎の百花譜をレリーフにしたものがあったり、歌人でもあった杢太郎の俳句が記録されたステンレス製碑があったりするそう。

こちらは通称、杢太郎の小径と言われているそうです。ぜひ涼しくなってきたこれからの季節、こちらにも足を運んでみたいです。

その他には、小学校の校歌碑や、オレンジビーチにあります海の入日詩碑などがあります。

こちらの記念館自体も明治40年の建築物で、国登録有形文化財となっているそうです。現代建築では見ることのなくなった、シンボリックななまこ壁の建物です。

主な収蔵品は、著書、絵画、書簡、遺愛品、当時の生活用具など幅広く、身近に感じられる内容となっていました。建物の横には無料駐車場が完備されており、車での来館もしやすいところもおすすめポイントです。

伊東生まれで、伊東を愛した文学者であり、医学者でもあり、画才も目を惹く木下杢太郎という人物を一度訪ねてみてはいかがでしょうか。

ちなみに、冒頭ご紹介した随筆「伊豆伊東」の伊東温泉の冒頭は、『伊豆の東海岸は伊太利亜(イタリア)のソレントオ(ソレント)やアマルフイイ(アマルフィ)の一帯に景色が好く(よく)似てゐます(います)。』で始まります。あの時代に語学堪能で世界各地を旅した人物だからこその一文ですね。

さて、こちらの記事を見てくださったあなたも、どんな生い立ちで、どんな経歴の持ち主か、気になってきたのではないでしょうか。

木下杢太郎記念館
住所:静岡県伊東市湯川2丁目11番5号
アクセス:JR伊東駅より徒歩約7分
TEL:0557-36-7454
開館時間:9:00-16:30(4月~9月)
9:00-16:00(10月~3月)
休館日:月曜日(但し祝日の場合は火曜日)/12月28日~1月4日

※記載情報は取材当時のものです。変更している場合もありますので、ご利用前に公式サイト等でご確認ください。